パソコンに向かう日々に、営業の実感を持てなかった。もっと人と向き合い、足を使う営業がしたい。その思いから人材業界へ転じ、広島で営業所長を務めた沖田勇樹氏は、求人広告代理店として独立した。コロナ禍には飲食や不動産にも挑戦したが、経験を重ねた末に、人材事業こそ自分が注力すべき領域だと確信する。
QUESTION 01
創業のきっかけを教えてください。
営業経験を重ねた先で、独立を決めた理由は何だったのでしょうか。
創業の原点には、自分の名前でどこまでできるのか試したいという思いがありました。大学卒業後に入社した株式会社アドウェイズでは、クライアント部門でインターネット広告の運用や、広告主とメディアの調整を担当しました。ただ、仕事はオフィスでパソコンに向かう時間が中心で、私が想像していた営業とは違っていました。売るために外へ出て、人とぶつかりながら進める営業をやりたいと感じるようになったのです。
友人から、求人広告の営業で顧客先を訪ね、時には厳しい反応も受けながら仕事をしている話を聞きました。その話に惹かれ、私は人材業界へ転職しました。株式会社マイナビでは、広島の営業所でマイナビバイトの新規開拓などに取り組み、入社から2年3カ月ほどで広島の営業所長になりました。営業として結果を出し、役職も上がりましたが、次の役職を思い描いたときに、自分の成長の限界も感じていました。
マイナビ在籍時には年収が約800万円あった時期もありました。それでも、役職が上がっても業務や待遇が大きく変わらず、会社に貢献している実感と、自分がさらに成長できる余地に疑問を持つようになりました。大学卒業時から、20代で会社をつくると決めていたこともあり、何をするかを細かく計画していたわけではありませんが、退職を決断しました。
退職後は、これまで経験してきた求人広告の仕事を生かし、まずは個人事業主として求人広告代理店を始めました。広島ではまだ取り扱いのなかったバイトルの代理店契約を、友人の紹介をきっかけに結べたことが転機でした。広島で代理店事業を始めたいという思いと、相手側が広島で販売網を広げたいというタイミングが重なり、事業が動き始めました。その後、1年ほどで法人化しました。
QUESTION 02
事業はどのようにつながっているのですか?
求人広告から人材事業へ、経験はどのようにつながったのでしょうか。
事業は、求人広告を起点に、企業との接点と人材に関する知見を積み重ねる形でつながってきました。独立当初は求人広告代理店として、これまで営業してきた企業に新しい求人媒体を提案しました。コロナ禍で求人事業が大きく停滞したときには、飲食や不動産にも取り組みましたが、経験を重ねた結果、人材事業が自分にとって最も適していると考えるようになりました。
コロナ禍には、求人広告の案件がキャンセルになるなど、先行きが見えない状況になりました。そこで宅地建物取引士の勉強を始め、半年ほどで試験に合格し、不動産事業にも進みました。不動産では売買を一部行いましたが、扱える物件や事業の効率性を考えると、継続的に大きく広げるイメージは持てませんでした。結果として、不動産は限定的に残しながら、3年前ごろから人材事業に改めて注力しています。
異なる事業を経験したことで、企業との接点や、これまで築いてきた顧客基盤そのものが資産になると実感しました。人材に関する採用支援などを始める場合、すでに接点のある企業に提案できるため、新しい営業先を一から開拓するよりも早く動けます。私にとっては、求人広告、人材紹介、人材派遣、採用支援などを別々に行うのではなく、企業の採用課題に応じて提案の幅を持つことが、事業をつなぐ考え方です。
不動産についても、将来、人材事業と接点が生まれる可能性はあります。たとえば外国人を受け入れる事業を行う場合、住まいが必要になるためです。ただし、事業の中心として考えているのは人材です。経験を通じて、求人に通じること以外は、ほとんど新しく始めないという方針に変わりました。
QUESTION 03
飲食事業からどのような教訓を得ましたか?
飲食事業への挑戦を経て、どんな経営上の気づきがありましたか。
飲食事業から得た大きな教訓は、自分が現場にいなくても続く組織をつくる難しさです。飲食店は、店長や責任者など、現場を任せられる人がいなければ事業の維持が難しくなります。自分が立てない日でも運営できる体制をつくるには、業務のノウハウだけでなく、信頼できる責任者と組織づくりが必要です。飲食業の経験が十分ではなかった私にとって、そこは簡単ではありませんでした。
また、少数の店舗を経営するだけでは、どうしても経営者自身が現場に関わる割合が大きくなると感じました。もちろん、それ自体が悪いわけではありません。ただ、事業としてさらに広げていくことを考えると、自分が現場に立たなくても運営できる体制が必要になります。だからこそ、自分がいなくても回る仕組みをつくらなければ、長く続く事業にはなりにくいと考えています。
一方で、飲食事業のすべてを否定しているわけではありません。バーなど、初期費用を抑えて開業し、イベントなどで早期に売上をつくり、一定期間で投資を回収してから店舗を譲渡するモデルは考えました。事業を始めたい人にとっては、一定期間運営しながら売上を得て、自分の店を持つ経験につなげられる可能性があります。ただし、短期間で回収できる業態と、設備や内装に大きな投資が必要な業態では、リスクの構造が違います。
カフェや洋菓子店などは、商品だけでなく空間づくりも重要になり、初期費用を抑えにくいと感じました。こうした経験を通じて、私は飲食を広げるよりも、これまでの顧客や知識を生かせる人材事業に集中する方がよいと判断しました。異なる事業に挑戦したからこそ、本業に注力する経営方針をはっきりさせることができました。
QUESTION 04
今後のビジョンを教えてください。
仕事を通じて実現したい社会について、教えてください。
私が掲げているのは、仕事を通じて人生が好転する社会を作ることです。私自身、仕事を通じて人生がもう一度前に動き出したと感じた経験があります。営業の仕事で結果を出し、周囲からの見られ方が変わり、役職も上がりました。仕事によって、自分の人生をもう一度動かせたという実感があるからこそ、仕事には人の人生を変える力があると考えています。
人材事業で向き合う求職者の中には、転職を考える事情があったり、これまでの仕事でつまずきを感じていたりする人もいます。そうした人に対して、単に仕事を紹介するだけではなく、次の一歩を踏み出すための力を渡したいと思っています。私たちとの出会いをきっかけに、その人の人生が少しでもよい方向へ動き出すことが大切です。
企業も人の集合体です。働く人だけがよくなるのでも、会社だけが成果を得るのでもなく、双方にとってよい関係をつくる必要があります。働く人から「働いてよかった」と言ってもらい、企業からも「働いてくれてありがとう」と言ってもらえるような関係が理想です。だからこそ、働く人と企業の可能性を広げ、人生とビジネスが好転する社会を目指しています。
今後は、これまで経験してきた求人広告や人材に関する事業を軸に、求職者と企業の双方に向き合っていきます。私自身も、最初から順調だったわけではなく、営業の仕事で結果を出すことで前に進めました。だからこそ、求職者が自分の可能性を信じられるように支え、企業にとっても採用が事業の前進につながるようなサービスを積み重ねていきたいと考えています。



