パソコンに向かうだけの営業に違和感を覚え、飛び込みや電話で顧客と向き合う仕事を選んだ沖田勇樹氏。営業職で成果を重ねる一方、役職や待遇の変化に自身の成長限界を感じ、独立を決めた。求人広告代理店から始まった事業は、コロナ禍の多角化を経て、再び人材事業へと軸足を戻している。
QUESTION 01
創業のきっかけを教えてください。
20代での起業を決めていた沖田さん。独立のきっかけは何だったのでしょうか。
私が会社をつくると決めたのは、大学を卒業する時でした。20代のうちに起業することだけは決めていて、具体的な事業が最初からあったわけではありません。まずは営業を続け、経験を積もうと考えていました。人材会社では新規開拓を中心に取り組み、広島の営業所長を任されるまでになりましたが、役職が上がっても、業務や条件が大きく変わる感覚はありませんでした。
その後、別の拠点の営業所長になっても、責任は増える一方で、状況が大きく変わらないと感じました。自分が会社に貢献している分を考えると、ここで働き続ける意味は何だろうと思うようになったのです。そこで、何をするかを決め切らないまま退職し、まずは求人広告代理店として独立しました。これまで経験してきたことを生かせるのは、求人広告の営業だと考えたからです。
QUESTION 02
御社はどのような会社ですか?
多角化を経験したからこそ見えた、現在の会社の軸を教えてください。
当社は、求人広告代理店を出発点に、採用に関わる事業を広げてきた会社です。独立後は求人広告を扱い、コロナ禍には飲食や不動産にも取り組みました。社会の状況が大きく変わり、求人事業の先行きが見えなかったため、新しい可能性を探したのです。ただ、いくつかの事業を経験するなかで、人材事業が自分たちの本業として最も適していると考えるようになりました。
現在は、人材事業を軸に、求人広告代理店や採用支援など、働く人と企業をつなぐ仕事に力を入れています。飲食店の経営では、店舗ごとに責任者が必要で、組織として運営する難しさを感じました。自分が現場に立てなくなった時にも続く仕組みをつくるには、専門的なノウハウと組織化が欠かせません。その経験から、今後は求人に通じること以外は、ほとんど新しくやらないという方針を持っています。
QUESTION 03
一番印象に残っている仕事を教えてください。
独立後の最初の事業には、どんな巡り合わせがあったのでしょうか。
一番印象に残っているのは、独立して最初に始めた求人広告代理店です。退職後、広島に戻って求人広告を扱おうと考えましたが、以前の会社で扱っていた媒体をそのまま売るのでは面白くないと思っていました。そこで、当時広島ではまだ扱われていなかった求人広告サービスに目をつけ、利用経験のある大学時代の友人に連絡しました。広島で代理店をやりたいと伝えたところ、担当部署を紹介してもらえたのです。
先方もちょうど広島で事業を広げたい時期で、私が営業経験を持っていたこともあり、個人事業主では通常難しい契約を、特別な条件で結ばせてもらいました。私はそのサービスを広島で最初に扱う代理店として営業を始め、以前から付き合いのあった顧客にも提案していきました。最初は手探りでしたが、「あなたが言うなら試してみる」と言ってくれるお客様もいました。福岡に行ったからこそ知ることができた事業を、広島で形にできた経験です。
QUESTION 04
今後のビジョンを教えてください。
仕事を通じて得た実感を、これからどんな社会につなげたいのでしょうか。
私のビジョンは、仕事を通じて人生が好転する社会を作ることです。私自身、仕事によって人生がもう一度前に動き出したと感じた経験があります。営業職として結果を出すことで周囲からの見られ方が変わり、役職も上がりました。仕事に取り組み、成果を積み重ねることで、自分の人生を再び動かしていく感覚がありました。だからこそ、仕事には人の人生を変える力があると考えています。
求職者と向き合う時には、転職や仕事探しの背景に、何らかのつまずきや事情を抱えている人も多いと感じています。そうした人に対して、私たちがエンジンにガソリンを注ぐような役割を果たし、もう一度前に進めるように支えたいのです。企業も働く人も、働いてよかった、働いてくれてありがとうと言える関係であることが大切です。人材事業を通じて、働く人と企業の可能性を広げることを目指していきます。



